車輌紹介 103系




写真 : ナハ22編成   04.2 谷保-分倍河原

旧国鉄の代表的な通勤電車として1964年から1984年にかけて約3500輌が製造され、 かつては山手線や京浜東北線、中央線、総武線などの首都圏主要線区をはじめ、 関西の都市部などでも使用されていましたが、82年より南武線にも左遷され始めました。

当初は低運転台・丸窓タイプの初期車が配属されていたものの、その後は103系同士でより新しい物への置き換えが進んだため、 93年にはATS-P導入に併せて先頭車が高運転台ATCタイプに統一され、 01年には中間車も含めユニットサッシの新製冷房車以降の、比較的後期のグループに入る車輌で統一されていました。

また、他線区では中途半端にしか行われなかった外ホロの取り付け・妻窓の埋め込みは全編成に、 先頭車の前面ガラスの金属押さえ化もナハ20を除く全編成に行われており、 製造年次における仕様変更や、補修整備などから様々な形態のあった103系にとって、南武線ほど種類・形態の統一された (悪く言えば、没個性的な)線区は珍しかったといえます。 また、02年夏ごろから先頭車の前面窓中央上に遮光フィルムが貼られていたことも南武線在籍車の特徴でした。

JR西日本では今後も当分は使用される予定のようですが、 JR東日本では老朽化に加え、省エネやメンテナンスフリーを掲げた新型と比べ、電気代も保守の手間もかかる103系は05年度中に全廃する計画が立てられ、 南武線では02年9月より元山手線の205系転入による置き換えが開始。 04年12月16日の05F運用をもって南武線103系は22年の歴史に幕を下ろしました。


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走れ我らが南武線